【ミリマス:ぷっぷかさん】麗花さんの普通とは何か。普通の意味を考えると麗花さんがより魅力的に見えてくる

キミは花ざかりweekendのこのパートを麗花さんが歌うのはおかしいと思ったかな、それともおかしくないと思ったかな。

結論から言うとどちらも間違っていないんだ。

だって麗花さんのことを普通と思っている人はもちろん普通と思うだろうし、普通と思っていない人は普通と思わないからね。

…なんだか当たり前のことを言っていると思うかもしれないね。でもここで大事なのは「自分」が「思っている」ということなんだ。

 

普通であるかそうでないかいずれにせよ「自分」が「思っている」ことなんだ。

 

だとすると自分が思っているだけではなくて本当のところはどうなのだろう。「普通」についてそれぞれの人がただ自分でそう思っているだけなのなら、自分で思っているだけではない本当のところはどうなんだろう。

「だと思う」から一歩踏み出して「考え」てみよう。

普通と思っているキミ、じゃあ「普通」っていったいどういうことなのかわかっているかな。普通ではないと思っているキミは「普通ではない」っていったいどういうことなのか本当にわかっているかな。

 

普通を考える前に…生きることは素晴らしいことかつまらないことか

生きることは素晴らしいことだろうか、つまらないことだろうか。

普通を考えることをわかりやすくするためにまずはこの例を考えてみよう。

さっきキミはいずれにせよ「自分」が「思っている」ということを理解したはずだ。

じゃあもし、「生きることは素晴らしいことか、つまらないことなのか」というディベートをすることになったとしよう。

そうすると「素晴らしいと思う派」の人は素晴らしいと主張するし、「つまらないと思う派」の人はもちろん主張するだろう。さらには「人の意見はそれぞれだからどっちでもいいです派」まで出てきてどっちでもいいと主張するはずだ。

議論はこれだと平行線で決着しない。

 

当たり前だよね、いろんな性格考え方の人が自分の意見を正しいと思って主張してるんだから決着なんてつくわけがないんだ。

 

どうだろうこの光景。麗花さんの「普通」の議論に似てないかな。まさにいまこういう状況なんだ。みんなそれぞれの「普通」があって自分の意見を正しいと思って主張しているからこれももちろん決着なんてつくわけがないんだ。決着がつかなくて当たり前なんだ。

 

ディベートの話にもどろう。このままだと平行線で決着しないと言ったね。でもここでポツリとこう言う人もいるかもしれない。「生きてることが素晴らしいかつまらないかとどうして思えるのだろうか。ぼくはそもそも『生きる』ということがどういうことかわかってない。だからどうして生きることが素晴らしいともつまらないとも思えるだろうか。」と。

 

実は一番これが大事なんだ。素晴らしい派、つまらない派、どっちでもいい派と意見は対立しているんだ。でも「生きているということについてそれぞれそう思っている」というところは共通しているんだ。

 

だから今回の「普通」についても意見は違うけど、「普通についてそれぞれそう思っている」というところでは共通しているんだ。

 

普通という言葉について考える

普通という言葉に入りたいんだけどちょっとそのまえに「言葉」について考えてみよう。

たとえばリンゴを思い浮かべてほしい。どうだろう。こういうとキミはリンゴを思い浮かべるし僕との会話は問題なく成立するはずだ。

でも考えて見てほしい。ボクの思い浮かべたリンゴとキミの思い浮かべるリンゴは絶対ちがうはずなんだ。なのにどうして伝わるんだろう。

言いたいことは思い浮かべるものは違っても言葉は伝わるんだ。つまり言葉の意味は言葉の意味以上の意味は持たないんだ。

「普通」について話をもどそう、たとえばキミは「普通じゃない人に出くわした」というと話相手に問題なく伝わるよね。これも同じなんだ。

 

「普通」という言葉のイメージするところは人それぞれ違うのに、「普通」という言葉の意味するところは通じているんだ。

 

リンゴの例えでわかったように、「普通」っていうのは人それぞれイメージするのは違うけれども普通という意味で伝わる点でそれ以上でもそれ以下のものでもないんだ。

 

大事なのは「普通の意味とは何か?」ではなくてこれまで順を追ってきたように「そもそも普通ってどういうことか?を考えて知る」ことなんだ。

 

いままでの例を見てどうだろう。ディベートの例や、リンゴの例。一見当たり前のことでも深く考えてみると当たり前じゃないと感じたんじゃないかな。

 

なぜ北上麗花は普通を素敵と思うのか

いよいよ本題に入ろう。この記事のタイトルは「普通とは何か。普通の意味を考えれば麗花さんへの見方・魅力は無限大に広がる」と書いた。

ここまでで「普通とは何か。普通の意味を考えれば」までは説明してきたね。普通とは何か。ということから考えることで、一見あたり前に思えることはあたり前じゃないということがわかったはずだ。

最後に「麗花さんへの見方・魅力は無限大に広がる」とはどういうことか。説明しよう。

よく麗花さんは普通を素敵だという。ここでも考えよう。

 

なぜ麗花さんは普通を素敵だと思うのだろうか。

 

 

…って言いたいところなんだけど実はここまででもう答えは出ているんだ。

 

麗花さんはみんなが普通だと思っていることを少しも普通だなんて思っていないからなんだ。

 

「普通だと思っていないから素敵だと思う」というはどういうことだろうか。

 

だいたいの人は「そんなことは普通だ」と言ったその「普通」という言葉が「どういうことなのか」と考えようとはしないよね。

 

でも北上麗花はちがうんだ。それこそ考える、考えようとする。考えて、知ろうとするんだ。みんなが普通だ—いつも当たり前に思っていたことについて考える。そして、じつはいつも当たり前に思っていたことが凄いことだったということに日々、彼女は気がついているんだ。

 

大事なのは普通の意味じゃないんだ。「普通」っていう言葉は会話の上では同じ意味で通じるけれどもその「普通」と思っているところは人それぞれなんだ。北上麗花は「普通」とよく言っているけどこれに気がついているし、普通を普通と「思わず」に「考えて」いるんだ。

 

これに気が付いているその上で普通と言っているのがすごいんだ。彼女は「普通」に対して僕らが思っている以上に間違いなく考え抜いている。

 

だから北上麗花は普通であることを素敵だと思うんだ。そして北上麗花の魅力はまさにこの感性にあると言えるんだ。

 

こう考えるとどうだろう。北上麗花は普通じゃないとおもっていたキミの見方もこれから変わるんじゃないかな。いや絶対かわる。今まで「普通じゃない麗花さん」だと思っていたのとは別の無限大の魅力を秘めた麗花さんがそこにはある。

 

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